ボウイとボランとビスコンティ
トニー・ビスコンティといえば70年代のロックファンには
超がつくぐらいおなじみの音楽プロデューサー。
音楽関係の自伝を読むのが好きなぼくがいま読んでいるのは彼の
「Bowie, Bolan and the Brooklyn Boy」の翻訳です
自伝なのに自分のことを「手がけた男」というのはヘンですよね。
ボウイとはスペイスオディティにはじまり
ザ・マン・フー・ソールド・ザ・ワールド
ヤングアメリカンズ
ロウ
ヒーローズ
ロジャーというベルリン三部作など多数
最後のブラックスターも手がけています。
Tレックスのヒット作もみなこのひと。
作品でとくにおもしろいのは
ニューヨークからロンドンにやってきたばかりの
プロコルハラムが「ア・ホワイター・シェイズ・オブ・ペイル」で
人気が出はじめた頃の時代の回想。
売れてくると仕事の話が中心になってしまいますが
若い頃の仕事と生活が一体化したときの記憶では
なんとなく60年代のロンドンの雰囲気が伝わってきて
(「ロンドンはおどろくほど音楽の趣味が悪いのにびっくりした」と)
印象に残ります。
ここでの発見は
マーク・ボランがどんなひとだったかってこと。
そのことを知りたいひと(けっしてボランのファンは、とはいいません)には
一読の価値がありそう。
ボウイとボランのつきあいというのも
ビスコンティの目にはこう映っていたのかと
興味ぶかく読めます。
もうひとつの発見はプロコルハラムに関して。
2作目の「シャインオン・ブライトリー」B面(レコード)の
組曲「In Held Twas In I」のタイトルの解題。
ぼくもなんだろうなあと思っていたのですが
作詞を担当したキース・リードに教えてもらったのが
組曲1曲目の「グリンプシズ・オブ・ニルバーナ」にはじまる
5曲の歌い出しの単語を組み合わせたものだそう。
なるほどーと感心しました。
0コメント